元不登校で、不登校の専門誌の編集長を務め、400人以上に取材経験がある石井しこうさんをゲストにお迎えしました。
不登校の小中学生が通うオンラインフリースクールNIJINアカデミーの『レインボー新聞社』の児童生徒からインタビューを行いました。
ここでしか聞けないお話もたくさんありますので、ぜひご覧になってくださいね。
自己紹介
──まずはNIJINアカデミーの『レインボー新聞社』の皆さんから自己紹介をお願いします。
中学3年生のさきです。中1の時に不登校になりました。編み物が趣味で、最近では靴下を編んでいます。
小学4年生のなっつーです。小学3年生の時に不登校になりました。趣味は読書と歌を歌うことで、最近は絵を描くことにハマっています。
小学3年生のたまごずしです。小2から不登校になりました。好きな食べ物はシャインマスカット、たまごずしです。最近ハマっていることは、マインクラフトで建築をすることです。
──次に石井さんから自己紹介をお願いします!
石井しこうです。現在42歳で、不登校ジャーナリストをしています。中2から不登校になり、その後ずっと学校には行きませんでした。
今一番ハマっている趣味は、パワプロという野球ゲームです。
『無双』するのが好きで、『無双』できるなら相手のレベルを下げてもいい!と思うくらい。
大谷翔平選手が騒がれていますけれど、私はもっとホームランを打っていますよ!
石井さんの現在の仕事と、これまでの経歴
──不登校ジャーナリストをされているとおっしゃってましたけど、具体的なお仕事内容などを教えてください。(さきさん)
現在は、不登校に関する書籍の執筆、取材を受ける、講演活動などを行っています。
テレビ局や教育委員会で意見交換としてお話しすることもあります。
──お仕事されるまで、不登校になってからどのように過ごしてきたのかを簡単に教えてください。(さきさん)
不登校になったのは中学2年生で、わりとすぐにフリースクールに通うようになりました。
私の頃はまだオンラインフリースクールなんて無かったので、都内のフリースクールまで1時間位かけて通っていました。
フリースクールに出会い、学校以外で学ぶ場があるなんて…と嬉しい驚きを感じました。
6年間同じフリースクールに通い続け、そこで「取材」というものに出会いました。
取材は、歌手や好きなSNSの人であったり…『会いたい人に会いに行ける』のが特徴です。
「これは良い仕事だな!」と思い、取材の仕事を本職にするNPO法人に就職しました。
そこで20年間取材の活動をし、今年(2024年)1月からジャーナリストとして独立しました。
不登校だった時期について
──なぜ不登校になったのですか?(たまごずしさん)
色んな理由がありましたが、大きなきっかけは中学受験でした。
小学生の時に通っていた中学受験の塾がスパルタで、自分では勉強を頑張っていましたが、ストレスが大きく、体調を崩すほどに追い詰められてしまい、
結局、小学校6年生の時に受験に失敗してしまいました。
もうダメだ…こんなに頑張ったのに…自分の人生はここでおしまいだ…
そう思ってつらくなってしまいました。
その後、受験したのとは違う学校に通いましたが、いじめにあったり、先生と相性が合わなかったり、色々なことが重なって中学2年の時から不登校になりました。
──不登校で一番苦労したことはなんですか?(たまごずしさん)
最初に私が13歳で不登校になったときに、恐らく苦労するだろうなと思ったことは正直全て予想が外れました。
まずは『勉強をしていないこと』ですが、私は中学2年生から教科学習を一切していないですし、高校にも一切行っていないので、勉強は苦労するだろうと思っていました。
しかし、必要な時に必要なタイミングで学ぶことが一番効果的だったので、結果的に勉強は苦労しなかったです。
次に、『仕事には就けないだろう』と思っていました。
仕事ってどういうものなのか、何をするものなのかイメージがついていませんでした。
母親に仕事とはどのようなものなのかを聞いても、「我慢することだよ」などの抽象的なことしか言われず…
自分は仕事はできないんじゃないか、と思っていました。
ただ、一定の年齢になって仕事をする現場に入り、求められていることにきちんと向き合って行けば仕事はできると分かりました。
うまくいくこともいかないこともあるけれど、毎回向き合って行けば大丈夫です。
そのため、仕事も困りませんでした。
それから、『昼夜逆転の生活』。
不登校になりたての頃は、深夜2時か3時に寝て、夕方ごろに起きるとか。
夜にゲームをずっとやっていました。
親にやめなさい、そんな生活をしていたらおかしくなると言われていて、やめられる日は来るのかな…と思っていましたが、やめられました。
ちょっと想像するのが難しいかと思うんですけれど、年齢が経ってくると、夜起きているのがつらくなるんですよね。
夜11時半や12時になると眠くなり、朝6時くらいになると起きていたくなるんですよ。
どんなゲームやっていたんですか?
私が一番好きだったのは、サッカーチームを運営するゲームです。
あと、信長の野望という、戦国時代で天下統一するのをやっていましたね。
最後に、本当は一番苦労するはずだったのがたまたま救われたなと思うことがあります。
それは、「自分が普通ではないというコンプレックス」です。
「自分は学校に行っていないから、~ができない。」
「自分は人と変わっているから、”普通”のことができない。」
そんな「普通への憧れ」みたいなもののコンプレックスに、一番苦労したんじゃないかと思います。
私自身がどうやって「普通」じゃないことをどうやって自分の中で乗り越えたかというと、
『取材』と『フリースクールの経験』でした。
取材では、変わっている人にたくさん出会うことができました。
皆さんが知っている人では、中川翔子さんは飛びぬけてエネルギッシュだったり、南海キャンディーズの山ちゃんはすごく頭の回転の速かったり。
色々な人に出会ったことによって、
「普通」って何だろうな。
「普通」ってなかなか無いな。
自分は変わってるって思ったけれど、もっと変わっている人っていっぱいいるんだな、と思うようになりました。
フリースクールでは、同じフリースクールに通う子どもの言動から学びました。
その子は、「来月から学校に戻るんだ」「来月からはアルバイトをするんだ」「来月から勉強するんだ」など毎月のように宣言するんです。
学校に行っている人ができるようなこと、学生がしていて偉いと言われそうなことを言い続けました。
でも、彼は実行することはできませんでした。
それでも、「俺は来月から学校に行くんだ。だから学校に行かないお前らとは違うんだ。」
「お前らも学校に行かなきゃとだめだ」と周囲の子どもたちに言い続けるので、やがてフリースクールの中でも孤立していきました。
彼は勉強することもできず、フリースクールの中で楽しんだり遊んだりすることもできず、ただ来月これをやるんだと言い続けてそのままフリースクールにも来なくなりました。
そういうのをみると、学校に行かないんだったら行かないで、フリースクールで楽しんだり学んだりした方がいい。
今ある状態と違う状態を望んで精一杯あれしなきゃこれしなきゃと思っていると、呪いがかかったように何もできなくなる。
ということが分かりました。
彼がそれを教えてくれたので、私は救われたなと思いました。
最後にまとめると、私が一番不登校で苦労したのは、「普通」という幻想にとらわれたことです。
──不登校の時はどんな勉強方法で勉強をしていましたか?(なっつーさん)
不登校になってから、学校のような教科学習は一切していませんでした。
なので、私は勉強をしていないと思っていました。
今の歳になって、不登校の時も勉強していたなと思うのは、まさに取材です。
取材をすることは、とても大きな勉強になったと思います。
下調べをしたり、聞きたいことを考えたり、質問をするのは勇気がいるので、勇気を出す勉強にもなりますし。
私の場合は仕事にもつながったので、本当に将来役に立つ勉強だったと思います。
10代の頃に一緒に取材をしていた4、5人は、有名な大手の新聞社に就職したり、デザイナーになっていたり、科学者になっていたりするけれど、皆さん取材をした経験がためになったと話しています。
フリースクールについて
──フリースクールで衝撃を受けたとおっしゃっていましたが、フリースクールで印象に残っている出来事があれば教えてください。(さきさん)
一番最初に驚いたのは、校則や中間テストが無いことでした。
それから、年齢差で人を判断することは無いんですよね。
あー、分かります。
学校は、男女差や学年が1つでも違うと口のきき方も含めて人を区別するようなところがありますけど…
フリースクールには無いので、そこがまず驚いたところですね。
また、先ほどのどんな勉強の仕方に通じるかもしれないのですが、フリースクール、このNIJINアカデミーでもそうだと思いますが、
自分の好きなこと、やりたいことから学びを始められますよね。
こんなことしてみたい、これができたら面白そうだなと思うこと。
その学び方に私はすごく衝撃を受けました。
大人になった今では周囲の人からとても特徴がある、強みだとよく言われます。
例えば私はこれまでに4回記者会見を組んだり、不登校の人たちのために全国大会を開いて新しいイベントを組んだりして、皆さんからアイデアが豊か、行動力があるって言われます。
それは、フリースクール時代にまずは好きなことからやってみよう、小さいことから始めてみようとやってきたからです。
さっき自己紹介で言っていたように、「ちょっと編み物してみよう」とか自分の好きなことを少しずつ少しずつやっていく。
人間って欲深いので、どうしても最後に大きいことをやりたくなっちゃうんですよね。
大きいことをやろうと思ったら仕事になり、気が付いたら人から評価を受ける。
フリースクールで衝撃を受けたのは、『自由な部分』と、『作っていく学び』でした。
不登校の専門誌について
──なぜNPO法人で不登校の専門誌の編集長になったんですか?(なっつーさん)
実は自分から編集長になりたい、とか出世したわけでは無くて、他に人がいなかったからでした。
編集長になった当時は、社員が2人しかいなかったんです。
編集長と社員だけ。
その編集長が辞めると言うので、自動的に繰り上げられて編集長になりました。
代表理事の時も、その人が代表理事を辞めるというので、繰り上げで代表理事になりました。
──たくさんの方に取材されてきたと思いますが、取材された方に言われたことで印象に残っていることはありますか?(さきさん)
糸井重里(いとい しげさと)さん、ジブリのコピーライト「生きろ」などを書いている方ですが、その方の取材をした時に、「きみたちの話は面白かった」と言ってもらえたことです。
憧れの人に面白いね、と言ってもらったことでとても嬉しく、救われるような思いになりました。
もう一人、福島のお坊さんで小説家でもある玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)さんの言葉も印象に残っています。
色んな人を連れて取材に行ったのですが、不登校当事者の人が、
「やっぱり学校に行った方が良いんじゃないか、でも行きたくないなって、自分の気持ちがいつも揺らいでいるんです」との質問に、
「揺らいでいいんです。」と。
「世の中ではブレない人がいい、曲がらない方がいいと思われているけれど、人間というのは揺らぐもので、揺らぐからこそ折れないでしなやかにやっていける。ブレブレでいいんじゃないですか。」
とおっしゃられたことに、救われた思いがしました。
やはり自分の中でもどこかで、不登校で良いんだろうか、普通じゃないんじゃないかと揺らぐんですけど、揺らぐことでいっぱい考えて、自分と向き合ってきて、一つ一つの葛藤が血肉になっていると思います。
だから、「揺らいでいい」という自覚をもつこと。
仏教ではこれを風流と呼ぶそうで、「揺らいでいい」という自覚をもっていいんじゃないですかと言われたことはとても印象的でした。
揺らいでいい…なるほど…
私も好きなことや、やりたいこともブレるので、不安に感じることもありますし、将来どうなっているか分からず怖いと思うこともありますが、ちょっと勇気が出ました。ありがとうございます。
不登校の子どもたちに伝えたいことはありますか?
──不登校の子どもたちに何か伝えたいことはありますか?(さきさん)
自分の不登校を振り返ると、その理由は真っ当なものだったと感じています。
でも学校に行けないというだけで、突然人生の階段から落ちてしまったような気分になりました。
周りの人は進んでいるのに、自分だけ進まない、動かない時計の針にされてしまったような、そんな感覚がずっとありました。
この先どうやって大人になるのか、将来が不安でした。
自分の不安を解消させるために、取材をしたり仕事をしたりしてきました。
私が不登校になって30年が経って、友人や取材した人たちを見て分かったこと。
それは、不登校になった人たちも大体普通のおじさんおばさんになっているということ。
特別に何かができるようになっているわけではなくても、特別に何もできないわけでもない。
全部の傷が癒えたという人もいなければ、ずっとそのままだという人もいませんでした。
でもね、不登校から30年経った人たちが今悩んでいることって、「ちょっと痩せたいな」とか、「今日、暑いな寒いな」とか、「成人病でダイエットしてくださいと先生から言われたけれど面倒くさいな…」とか…
悩みが軽いんですよ。
10代の時ほど苦しんだり悩んだりはしていない。
30年は途方もない時間かもしれないけれど、そういう時がやってくるんだ、軽い悩みしかもたない普通のおじさんおばさんになるかもしれない、大筋そうやってなるんだと思ってもらえると嬉しいかなと思います。
不登校生あるある…こんなときどうする?
──石井さんが不登校だった頃は、フリースクールという単語も一般的ではない時期だったと思いますが、近所の人や親せきに聞かれたらときになんて話していましたか?対処法はありますか?(さきさん)
これは困っちゃいますよね。
最初はフリースクールの説明を毎回していましたが、やはり説明しても分かってもらえないこともあります。
人によっては「えー、そんなところ良くないんじゃない?」と余計なことを言う人や、逆に「いいと思うよ」と言われても、なんだかモヤモヤすることも。
そこで、自分たちの中で、フリースクールって何か聞かれたら、「ミッション系の学校です」って答えるように決めました。
本当のことを知ろうが知るまいが、明日には忘れてる人たちなんだから、別に彼らには本当のことを教えてやる必要もないんだって開き直っていました。
なんとなくミッション系というと、深く突っ込まれないで済んだんですよね。
他には、「専門学校」って言っている人もいました。
何の専門学校かと言うと、不登校の専門学校ってことですね。
メタバースのフリースクールとか、バーチャルとか伝わらなければ通信制とかでもいいかもしれない。
これは確かに、ここじゃないと言わない話ですね。
親せきや近所の人から聞かれて困ったことはありますか?
学校に行っている前提で色々聞かれて、とっさに学校に行っているように話している自分が嫌でした。ニジアカで楽しくやっているのに…
祖父母の家に近所のお年寄りの方がよく来てて、そこに私がいると「あら、学校は?」「オンラインスクール?勉強はしてるの?」と質問攻めにされて困りました…
戦う価値のある相手なのか?
その人と結婚したいとか、今後何かをやっていきたい人ならちゃんと伝えるけど、そうじゃなければなんとなく相手が納得すればいいのかもしれないですね。
石井さんからの質問
──レインボー新聞社の皆さんは、取材できたらいいなと思う人がいますか?
皆さんは取材してみたい人がいますか?
アンダーテイルというゲームの作者、呪術廻戦の作者とかたくさん!!!
呪術廻戦の作者に取材できる時は呼んでください。私もお話聞きたいです。
お寺のお坊さんが不登校についてどう思っているのか聞いてみたいなと思いました。
西本願寺とは繋がりがありますよ。
推しのVTuber(バーチャルユーチューバー)の月ノ美兎(つきの みと)さん。人と変わっているところもあり、自分の力を発揮できる分野で強烈な光を放っている。勇気をもらえそうだから話してみたいです。
おお、VTuberいいですね!
私の推しは全部行く!と思って、断られてもオファーだけ出してみるといいですよね。
取材で困ったら言ってください。
NIJINアカデミー生のリアル
──ニジアカに入って、将来や今不安に思っていることはありますか?
将来はまだ不安ありますが、今は不安は何もありません!!!
不安は最初は感じていたんですけど、最近は不安より、将来どうしよっかなーって考えてアイデア集めに忙しいです。
将来に対してはそんなに不安はないのですが、今中学3年生なので、入りたい高校に入るために勉強をしています。それでも勉強ができる日とできない日で不安定さがあって、どうすればいいのかと悩んでいます。
失敗しても成功しても大きな学びがあると思います。
「やりたいと思ってたのにやらなかったのは、本当はやりたくなかったんだなぁ」ってフリースクールに行っていた10代の子が作った歌詞があるんですけど、
今本当に気持ちが乗ってやれるのは、それはやりたかったことだと思います。でも、どうしても動かない時っていうのは仕事をしていてもあって、それって本当はやりたくなかったのかもな。頑張ってやんなきゃって思ったけど、今じゃないのかもな。っていう風に思います。
さきさんは今、取材の司会などすごく色んな事ができている。たくさんのことを学べる人だと思うので、自分にとってそういう時期だったのだと思ってもらえたら嬉しいです。
──ありがとうございました。
感想
石井さんのことは本などで知っていたので、どんな人なんだろうと緊張していたのですが、とても優しく質問に答えてくれて嬉しかったです。石井さんの温かい言葉に励まされました。改めて取材を受けてくださりありがとうございました!