こんにちは。ボランティアスタッフのコージーです。
今回は、NIJINアカデミー(以下、ニジアカ)で学ぶごんべさんにお話を伺いました。
穏やかな語り口の中に、しっかりとした意思を感じさせるごんべさん。彼の話を聞いていると、「大丈夫、ゆっくりでいい」と、そっと背中を押してもらえるような気持ちになります。
学校に行けなかった日々と、見えなかった出口
不登校のきっかけは、お母さまにお聞きしました。
「小学校2年の春、突然、行き渋りが始まりました。本当に前触れがなくて……最初は“甘えてるだけじゃないか”と思ったんです。」
学校からは「なんとなく嫌なだけでしょう」「ごまかしながらでも連れてきてくれれば、あとは何とかしますよ」と言われていたそうです。しかし、日を追うごとに登校への拒否感が強くなる彼の姿を見て、お母さまも本当にどうしたらよいかわからなくなってしまったとのこと。
その後、学校のスクールカウンセラーにも相談した際、次のようなコメントが印象に残っているそうです。
「感受性、共感性がとても強く、様々なことを敏感に感じ取ってしまうため、心が疲れやすい。まるでコップの水が表面張力ぎりぎりのところで踏ん張っていたような状態。頑張って、頑張って、適応しようとした結果、限界が来て水が溢れてしまった。学校に行きたくないというのは怠けているのではなく、むしろ頑張りすぎた結果です。」
当時(約8年前)は、まだ「学校に行かない」という選択肢が今ほど認知されていない時代。
「このまま勉強が遅れたら?」「友達がいなくなったら?」——そんな不安の方が大きくて、なかなか『休ませる』という決断ができなかったそうです。
その後、彼の登校は次第に減り、小学校6年生の頃にはほとんど通えなくなりました。。
中学進学を機に、「誰も自分を知らない環境なら何か変わるかもしれない」と、親子で話し合い、学区外の中学校に進学することを決めました。しかし、背景にはもう一つの大きな理由がありました。
本来通う予定だった学区内中学校では、空き教室がなく、教員も不足していて、学校へ行きづらい子どもへの支援が非常に限られていたのです。どんな理由であれ、所属クラス以外の教室(保健室も含む)で過ごせるのは1日1時間まで——というルールがあり、それを過ぎると早退しなければなりませんでした。
「現状を学区内の校長先生に話して、少しでも環境を整えてもらえないかお願いしたのですが、“すぐには対応できません”と、きっぱり断られました。その後、現在通っている中学校の支援ルームに通い始めましたが、非常勤の先生がひとりで対応しており、支援が画一的で、彼の気持ちにはなかなか寄り添えていなかったそうです。この経験から、学校の“不登校支援の限界”を強く実感したといいます。」
「行ってもつまらない」——そう口にする彼の姿を見て、「もう十分に頑張ったよ。行かなくていい。ゆっくり家で過ごそう」と、2学期が始まる前に伝えたそうです。
「じゃあ、違う道を探してみよう」——ニジアカとの出会い
学校に行かないと決めてから、居場所探しが始まりました。
自治体のフリースクールやスペースは見学したが、お母さまから見て、どの施設も彼には合わないように感じていらっしゃったようです。
外に出ること自体がしんどそうな彼の姿を見て、お母さまが、外に行く必要が無い「オンラインスクール」を探されたそうです。そこで見つけたのが、「ニジアカ」でした。
ニジアカの説明会で見た、アバターの世界観や雰囲気が、ハイテクで面白そうで気に入ってもらえたようです。
副リーダー経験から得られた、「自分もやればできるかも」という気持ち
ニジアカに入学した当初、彼はクラス会議やホームルームでの顔出しも声出しも絶対に無理だったと言います。人前で話すことへの抵抗感が強く、自己表現に自信を持てずにいたそうです。
そんな彼が少しずつ変わっていったのは、マイクラサークルでの活動とクラス内での発表を通してでした。同じような境遇の友達が居る安心感の中、「ちょっとだけなら声を出してもいいかな」と思えるようになっていったそうです。

彼が作ったマイクラの作品
彼はサークル活動を盛り上げたいと思いきって副リーダーに立候補しました。しかし突然リーダーが辞めてしまうという事態に——
予想外の出来事に戸惑いながらも、もう一人の副リーダーの子とともに全校ホームルームでマイクラサークルの活動報告を行うことになりました。
最初は不安だったものの、「なんとかなる」と自分に言い聞かせながら、一つひとつの課題に向き合っていった彼。発表では、Canvaでスライドを作成し、どうすれば簡潔に伝わるかを工夫したりと、試行錯誤の末に自分なりのやり方を見つけていきました。
彼自身も、
「昔は『自分なんかダメだ』って思ってたけど、サークルでの経験が少しずつそんな自分を変えてくれました。今は“ぼく、できるかも”って思えることが増えてきたんです」
と語ってくれました。
そうした小さな成功体験の積み重ねが、彼のなかに「やればできる」という感覚を育てていったように思います。
お母さま曰く、「ニジアカ入学当初のあの子じゃ考えられなかった」とのこと。
全校生徒や先生たちに伝える発表で、スライド作り、簡潔な説明、話し方を工夫したり……最後はDJみたいなノリで発表していたので本当に驚きました(大笑)。
自分でやり遂げたという実感や、周囲から認められる経験が、自信につながっているのだと思います。
マイクラと動画編集で広がった「得意なこと」
去年の学園祭で、マイクラ部は「好きなものを建築し、見学ツアーを実施する」という企画を行いました。彼は、時間をかけて一つのお城をコツコツ完成させました。
しかし、なんと彼の建築だけが発表できないという事態に。ひどく落ち込み、心にぽっかりと穴が空いたような様子だったそうです。
そんな彼に、当時のクラス担任の先生が「年度末に“自分自慢”というテーマで発表してみないか」と声をかけてくれました。最初は「自慢できることなんてない」と言っていた彼。でも、担任の先生に背中を押され、完成させたお城の“紹介動画”を作って発表することに。
この体験を経て、彼は動画を通して「自分の世界観を伝えること」の楽しさに気づいたそうです。
夢は、パソコンで食べていけるようになること
「もっとパソコンのスキルを伸ばしていきたいです。動画編集も、3Dの制作もすごく面白くて。クオリティが自分次第で変わるのが好きなんです。」
将来は、それを仕事にできたらいい——
今はまだ、自分が納得できる動画が作れていないから、YouTubeには出していないけど、「いつか胸を張れる作品をつくりたい」と、今日も少しずつ挑戦を続けています。
保護者としての8年間——“わが子の人生を信じる”という選択
「もし、あのとき学校に無理やり行かせ続けていたら……きっと今の笑顔はなかったと思います。」
不登校が始まった当初は、「どうして行けないの?」「甘えてるだけじゃないか?」と、葛藤の中にいた日々。子どもの将来の不安と焦り——すべてが重くのしかかっていたとお母さまは振り返ります。
「“学校に行かなくても良い”と本当に思えるようになるまでには時間がかかりました。」
ニジアカとの出会いは、親子にとって大きな転機になったそうです。
ごんべさんが笑顔で発表し、仲間と関わり合い、夢中になって動画をつくっている姿、その変化を見て、今の選択が間違っていなかったことを実感されていたようです。
最後に——「今がよければ、すべてよし」
インタビューの終わりに、お母さまの話を聞いてどう思ったかを尋ねると——「うーん、今がよければ、すべてよし、かな」と、笑いながら答えてくれたごんべさん。
その言葉に、お母さまも、私も、思わず笑ってしまいました。
インタビューの間、ずっと穏やかな笑顔があふれていたおふたり。見ているこちらまであたたかい気持ちになるような、そんな時間でした。

どんなに遠回りでも、今、自分らしく生きられているなら、それで十分。
そんなことを、改めて教えてもらった気がします。
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