自分の子が不登校になったとき、直接誰かに言われたわけではなく、しかし強烈に「不登校は親の責任」という目で見られているようで、毎日が怖かった。来る日も来る日も必死にもがき、落ち込んだ日々。
それでも、時間をかけて、一歩、一歩と歩みを進め、我が家はある結論にたどり着いた。
我が子の不登校の始まりと「親の責任」
人の目が怖くなった我が子

子どもが、学校に行けなくなったすぐのころ、気分転換に買い物に連れて行こうとしたら、「誰か知っている人に会うかもしれない!」と言って、極端に怖がり始めた。人が少ない時間帯に誘っても、すぐに逃げて隠れられる場所があること、親が常に隣にいてやることが絶対的に必要になった。
学校は、保健室登校も無理、校門をくぐるのさえ無理だった。
学校に行かせる“努力”の日々
しばらくは毎朝声をかけ、体を引っ張って起こし、学校に行くか行かないか何十分もかけて聞き、いよいよ無理だと思えば学校に欠席連絡を入れた。毎朝子どもを嫌な気持ちにさせるのも、自分の出勤が間に合わなくもなるから時間休を取ったり、学校からの確認の連絡に仕事の合間を縫っていかにダメな様子かを答えたりするのも、ひと月も続けばすっかり疲れて、もう無理だと思った。子どもは夜寝れなくなり、自分も子どもが寝たか気になって熟睡はできなくなった。「お母さんが仕事辞めたらいいんでしょう!」と叫んだ朝は、一度や二度ではない。
「行かせる努力をするのをやめる」と思うまでに、そう時間はかからなかった。学校にそう宣言をして、自治体が設置している教育支援センターに行かせてもらえるように手続きをして、本人がのびのび過ごせる生活に変えると、子どもは笑顔が戻り始め、そのうち一人での外出も始めるようになった。

「親の責任」を問う世間の目に、自分を責め続けた日々

不登校児のサポートをするということ
しかし、親としてのストレスは、そこで終わらなかった。
共働き家庭で祖父母同居でないなら、不登校の子は日中子どもだけで過ごす。我が家の場合、教育支援センターには通い始めたが、開室設定が毎日ではなかったし、天気や体調などによっては親の送迎が必要になった。しかし、学校よりも集合は遅く、解散は早い。行かない日は、家で過ごすが、家にいればいたで昼食の問題があり、家庭内でも色々とケガをすることもあれば、お皿を割ったり物を壊すこともある。何度も仕事を抜けて帰宅した。
同時に、学校以外のサポートを使うためには、教育だけでなく医療・福祉の申請、手続き、定期受診、面談、電話でのやり取りなど、平日日中にしかできないことが山積みだった。仕事中に担当者から電話やメールが来ることなんて、ザラにある。
不登校児の親であることと、フルタイムで働く自分
あっという間に、仕事にきちんと出勤できなくなっていった。有給休暇も看護休暇もそれ以外に使える休暇もどんどんなくなった。職場で新しくできた時差出勤の制度も誰よりも早く使った。でも、足りなかった。「ごめん、今日は連れていけない」。子どもは行く気があるのに、行かせられないこともたくさんあった。申し訳なくて、仕方なかった。
一方で、職場での申し訳なさも募っていった。責任ある仕事を任せられているのに、しょっちゅう休む、抜ける、早く帰る。幸いなことに、直接部署を同じくする人たちは、「大丈夫だよ、気を付けてね」と声をかけてくれて、私自身は一度もその点を責められたことはない。それでも、常に「職務怠慢」という言葉が頭を離れなかった。
(参考)「事業主・労働者の皆さまへ 不登校の現状をご存じですか?」文部科学省・厚生労働省
「親の責任」という世間の声
そして、時期を同じくして、社会で聞こえてくる声は「親の責任」を問うものがたくさんあった。
どこかの議員だか市長だかが「不登校は親が引きずってでも連れて行かないからなるんだ」と言って批判されて謝罪したというニュース。どこかの議会で「子どもを一人で留守番させることは虐待だ」とする条例を立てると発表したら批判が殺到して取り下げられたというニュース。
どちらも、直接自分を批判されたわけでもなく、それが社会で認められたわけでもないが、しかし、私が感じたのは、「結局、大きな声では言えないけど、一定数の人々がそういう考えで不登校の子の親をそういう目で見ている」ということだった。特に自分が教育に携わる職に就いているから、なおのこと、そういう目で見られているだろうと思った。
学校からの声掛けに感じる「親の責任」
加えて、学校に行かない判断をしたとしても、所属校である事実は変わらないから、毎週末学校からは確認の電話が来る。「お母さん、家での様子はどうですか?」「体調に気を付けるように本人にお伝えください」という、それ以外言いようのない声掛けだろうけれども、こちらとしては「すいません」と言うしかない。さらに気遣って、「お母さんが無理されないようにですね」という言葉ももらって、表面上は「ありがとうございます」と言いながら、内心は「親である自分が対応しなければ、誰がするんだ」と荒んでいく。
周囲の声掛けもそうだ。本人には聞くのを遠慮するから、状況を聞かれるのは親だ。親族からも、知人からも、心配をされているからこそ聞かれるのだが、会うたびに変わらない状況を説明するのはきつい。「そう、大変ね」というなぐさめもあれば、「もっとこうしてあげたら」という励ましも、結局、本人に向けてではなく親に言われる。
うまく対処できていないのは、親である自分だと、何度思っただろう。小さいころからの様々なことを思い返して、様々な専門家の文章を読んで、関連セミナーがあれば行って、気を付けるべきことも、やるべきことも、わかっている。でも、実現できるものは限られる。毎日、24時間では足りなかった。
「親の責任」は子どもが活躍する場所をつくること
子どもが笑顔でいられる場所はどこか
我が子は、学校には行かなくなったが、その後「クラスのみんなの応援をする」と言って、小学校の運動会は救護テントで見るのが毎年の定番になった。そうなると、当然親も見に行くわけで、しかし、本人は何の競技にも出ず、ずっとよその子を見るという状況になる。ちなみに、のちの小学校の卒業式も、我が子は保護者席で私の隣に座って臨席し、拍手を送る側にいた。
大体の人が、その場に来れたことを喜ぶ。我が子をほめる。しかし、こちらは、我が子以外の活躍を見せつけられ、私は何をしているのかと虚無感を感じ、そのうち怒りにさえなる。「なぜ我が子は活躍の場がないのか」。自分の感情が「悔しい」だと気づいて、でも、そこで思った。「悔しい? でも、我が子が活躍するのはこんな場所じゃない。我が子が活躍する別の場所を作らないと」。
子どもが輝く場につなげる「親の責任」
教育支援センターに行き始めて、子どもに余裕が見られるようになってから、気分転換の意味を込めて、子どもが望むものは積極的に連れ出したり、参加させたりしていた。ふと気づいた。我が子がげらげら笑っている。旅行や地域の伝統祭事、習い事、自由研究など、本人の興味関心に合うと、人前での発表やチームリーダーまでこなしはじめた。改めて思った。この子の居場所は、活躍する場所は、ここじゃないか。人生のメインは学校じゃない。ここで安心して過ごし、十分に活躍できるように支えてあげるのが「親の責任」じゃないか。
誰だ、「学校に行かせるのが親の責任」だなんて言ったのは。
「親の責任」に苦しんでいるあなたに伝えたいこと
子どもが輝く場所を探すのは楽しい
いろいろやっているから、「よくやるね」と言われたこともある。しかし、子どもが楽しそうにやるもんだから、自分も送迎というよりくっついていって見たいのである。「よくやるね」をネガティブに「自分がやらなきゃしょうがないんだよ!」ととらえていた時期もあるが、今は「他に面白そうなものないかな」と日々探しているくらいだ。もちろん、本人が興味を持たなければ強制はしない。
社会が求める「親の責任」は、本当に本人の笑顔につながるのか。そうじゃない。そこに気づいて(もともと気づいていたんだろうが、心の中にそれがすとんと落ちて)から、本当の意味での「親の責任」を考えるようになった。
「世間の目を気にしない」のも難しいけれど
言葉でどれだけ説明したって、何かを言ってくる人は言ってくる。でも、子どもが笑って、活躍する場を守ってあげたら、そこで生き生きとしていたら、応援してくれる人も増える。子どもの道は一つじゃない。時間をかけてもいいから、我が子の道はこれだと思うものを一緒に探して、見つけて、応援して、一人で歩き出したら手を放す。
世間の「親の責任」は的が外れている。それくらいは思っていい。子どもが笑顔になる場所を探せているなら、「親の責任」は果たせている。子どもが笑顔になれる日はくる。だから、今、それでいい。
【監修】水谷 和佳奈(元 公立高校教諭)
19年間、公立高校教諭として大学・短大・専門学校への進学や高卒就職など、幅広い進路指導に従事。その中で、高校卒業時ではなく中学までの進路選択のあり方に社会的な課題を見出す。我が子の学びの場を探す中で直面した地方都市における学びの選択肢の少なさを解消すべく、NIJINアカデミー熊本八代校の教室長に就任。地域産業に密着した学びを通じ、自己理解・社会理解を深め、主体的な進路実現に向かう教室を運営している。





