ただし、「40人」という人数が200年前に決められたわけでもありません。日本では戦後、50人、45人、40人へと学級規模を縮小し、現在はさらに35人学級へ移行しています。
なぜ学校では、同じ年齢の子どもたちが一つの教室に集まり、同じ時間割で、同じ先生から学ぶのでしょうか。
あまりにも当たり前なので、「なぜこの形なのか」と考えたことがない人も多いかもしれません。
ところが、学校の歴史をたどると、現在の「学級」や「学年」は、人類にとって普遍的な学び方ではなかったことが見えてきます。
この記事では、熊本大学で教育社会学を研究した柳治男『〈学級〉の歴史学――自明視された空間を疑う』を手がかりに、元小学校教員で株式会社NIJIN代表取締役の星野達郎(タツロー校長)が解説した内容を、文部科学省などの資料も加えて整理します。
40人学級はなぜ生まれたのか。モニトリアルシステムとは何か。なぜ同じ年齢で分けるのか。そして2026年現在、学級はどこへ向かっているのか。
学校教員はもちろん、不登校の子どもを持つ保護者や、「学校という仕組みそのもの」を考えたい方にも読んでほしい内容です。
全国900名以上の小中高生が学ぶオルタナティブスクール「NIJINアカデミー」の校長を務める傍ら、2つの教師団体を主宰。これまで累計1,200名以上の教員向けに研修を実施し、学校の中と外、両面から教育課題の解決に取り組む。
その独自の教育実践はNHKやテレビ朝日など多くのメディアで特集され、「青年版国民栄誉賞」や「内閣総理大臣奨励賞」を受賞するなど、各方面から高く評価されている。
確かな実績と教育信念を持つ一方で、生徒たちから気さくにいじられる「愛されキャラ」の校長として、日々子どもたちと向き合っている。
そもそも「学級」とは何か?学校の当たり前を疑ってみる
学校と聞いて、多くの人が思い浮かべる光景があります。
- 同じくらいの年齢の子どもが一つの教室に集まる
- 一つのクラスに担任の先生がいる
- 机が前を向いて並んでいる
- 先生が黒板やホワイトボードの前に立つ
- 同じ教科書を使って同じ内容を学ぶ
- 1年経つと、一つ上の学年へ進む
私たちはこれを「学校そのもの」だと思いがちです。
タツロー校長
柳治男の『〈学級〉の歴史学』も、現在の学級を教育にとって当然の形とみなすのではなく、近代社会の中で成立した歴史的な制度として問い直しています。
講談社は本書を、近代の発明品である「学級」の歴史性と限界を問い直す一冊として紹介しています。
2026年現在、日本はもう「全部40人学級」ではない
歴史に入る前に、現在の制度を確認しておきましょう。
「日本の学校=40人学級」というイメージは強く残っていますが、制度はすでに変化しています。
| 2026年度 | 1学級の標準 |
|---|---|
| 小学校1〜6年 | 35人 |
| 中学校1年 | 35人 |
| 中学校2・3年 | 40人 |
小学校では2025年度までに35人学級への移行が完了しました。
さらに2026年度から、中学校でも35人学級が始まっています。2026年度は中学1年、2027年度は中学1・2年、2028年度には中学校全学年へ広げる計画です。
学級を編制するときの「標準となる上限」を示す数字です。現在の政策は、むしろ40人から35人へ学級規模を小さくする方向へ進んでいます。
文部科学省「中学校35人学級の実施等のための法律」
実は日本の「40人」は、50人から減らしてきた数字
今回のテーマで、特に誤解しないでおきたいポイントです。
近代学校が効率的に大人数を教育する仕組みとして発展したことと、日本で「40人」という数字になった理由は別です。
戦後の日本では、1958年に制定された義務標準法で、小中学校の単式学級の標準は50人でした。
その後、よりきめ細かな教育を目指して45人へ。そして1980年度から40人学級を目指す改善が進み、1991年度に40人学級への移行が完成しました。
| 時期 | 学級編制の変化 |
|---|---|
| 1958年 | 50人 |
| 1960年代以降 | 45人へ |
| 1991年度 | 40人学級が完成 |
| 2025年度 | 小学校35人学級が完成 |
| 2026〜2028年度 | 中学校も35人学級へ |
つまり「40人」は、子どもを40人まで詰め込むために設定された数字というより、50人・45人だった学級を少人数化してきた歴史の途中にある数字でもあります。
では「学級制度」そのものは、なぜ生まれたのか
「40人」という数字とは別に、そもそも一定人数の子どもを一つの集団にまとめ、一人の教師が教育する仕組みはなぜ広がっていったのでしょうか。
タツロー校長
かなり強い表現ですが、ここで問題にしているのは「40」という数字そのものではありません。
限られた教師・施設・予算で、多くの子どもに教育を届けるための仕組みです。
教育をすべて1対1で行えば、一人ひとりに合わせやすくなります。その一方で、大量の教師、時間、施設、費用が必要です。
国全体へ教育を広げようとすると、当然「どうすれば限られた資源で多くの子どもを教育できるのか」という問題が生まれます。
その歴史を考える上で重要なのが、19世紀初頭のイギリスで広がったモニトリアルシステムです。
モニトリアルシステムとは?「生徒が生徒を教える」大量教育
モニトリアルシステム(monitorial system)は、一人の教師がすべての子を直接教えるのではありません。
学習の進んだ子どもを「モニター」として、その子がほかの子どもたちを教える方法です。
イギリスではアンドリュー・ベルとジョセフ・ランカスターが発展させたことから、「ベル=ランカスター方式」と呼ばれることもあります。
↓
複数のモニター(生徒)
↓
さらに多くの子どもたち
教師不足の中でも大人数を教育できるため、教育コストを抑えながら多くの子どもへ読み・書き・計算などを教える方法として広がりました。
現代の価値観から見れば違和感を覚える部分もあります。しかし当時、大量の子どもへ教育を届けることそのものが大きな社会課題でした。
タツロー校長
1833年、教育に国家のお金が入り始める
イギリス教育史の大きな転換点の一つが1833年です。
イギリス議会の資料によると、この年、政府は学校教育を支える団体へ2万ポンドの助成を行いました。
これは、イギリス政府が学校教育に財政支援を行った最初の例とされています。
教育が地域や宗教団体などだけで行われるものから、次第に国家が費用を負担し、制度として関与するものへと変わっていきます。
タツロー校長
公費を使う以上、どこに学校を建て、教師を何人配置し、どれくらいの子どもを教育するかという「管理」の視点も必要になります。
参考:UK Parliament「Elementary education in the 19th century」
「生徒が教える」から「先生が全員に教える」一斉授業へ
モニトリアルシステムにも限界がありました。
読み・書き・計算のように反復しやすい内容には向いていても、学校で扱う知識が増えていくと、生徒であるモニターだけですべてを教えることは難しくなります。
そこで19世紀半ばに広がっていったのが、教師が多数の子どもの前に立って教える一斉教授です。
タツロー校長の解説では「ギャラリー方式」として紹介されています。
教師が一つの集団へ向かって説明し、子どもたちが同時に学ぶ。
現在の学校の授業を思い浮かべると、かなり見慣れた光景になってきます。
1870年教育法で、学校は国家制度として広がっていく
さらに大きな転換点となったのが、イングランドとウェールズの1870年初等教育法(Elementary Education Act 1870)です。
学校が不足している地域にschool board(学校委員会)を設け、新しい学校を整備する仕組みがつくられました。
イギリス議会は、この法律を国家規模で教育を提供していく大きな節目として位置づけています。
近代学校は一つの法律で突然完成したのではありません。
学校建設、財政、教師養成、教授方法、学年、就学義務といった仕組みが、数十年をかけて組み合わされていったのです。
参考:UK Parliament「The 1870 Education Act」
その頃、日本には「寺子屋」という別の学び方があった
一方、日本では江戸時代、庶民の教育の場として寺子屋が広く存在しました。
読み・書き・そろばんなど、生活に必要な知識や技能を学ぶ場所です。
もちろん寺子屋も地域・時代・師匠によってさまざまで、一つの形にまとめることはできません。
ただ、現在のように全国共通で「同じ年齢」「同じ教科書」「同じ時間割」「同じ進度」という制度が一律に整えられていたわけではありません。
年齢や進み具合の違う子どもたちが、同じ場所で学ぶこともありました。
ここには、現在のNIJINアカデミーが取り入れている「異年齢で学ぶ」という発想とも通じるものがあります。
もちろん、200年前の寺子屋と現代のオルタナティブスクールを同一視することはできません。
ただ、「同じ年齢だけで集まることが教育の唯一の形ではない」という点では、これからの教育を考えるヒントになります。
日本では1872年「学制」から近代学校制度へ
日本の近代教育の大きな節目は、明治5年(1872年)の「学制」です。
ここから、全国へ学校制度を広げていく動きが本格化します。
ただし、学制が出た瞬間に全国の子どもたちが今のように学校へ通い始めたわけではありません。
地域差も大きく、就学の仕組みもその後何度も変化していきます。
こうして、学校という「場所」、学年という「時間」、学級という「集団」が制度として整えられていきました。
なぜ「同じ年齢」を一つのクラスに集めるのか
学級制度の重要な特徴の一つが、同じくらいの年齢の子どもを一つの単位として扱うことです。
年齢がバラバラで、学ぶ内容も進み方も全員違えば、学校全体を共通の仕組みで運営することは難しくなります。
一方、「1年生」「2年生」「3年生」と分ければ、
- 何歳で何を学ぶか決めやすい
- 同じ教材を使いやすい
- 教師を配置しやすい
- 必要な教室数を計算しやすい
- 学年ごとの成果を比較しやすい
- 全国で一定水準の教育を提供しやすい
という大きなメリットがあります。
タツロー校長
学級は単なる「友達の集まり」ではありません。
カリキュラム、教員配置、施設、予算など、公教育全体を動かすための行政上の単位でもあるのです。
学級制度のメリット|なぜ約200年も使われてきたのか
ここまで読むと、「学級=効率のための悪い仕組み」と感じるかもしれません。
しかし、それでは一面的です。
一人の教師が一定人数を担当することで、限られた教員数でも広く教育を提供できます。
学年・教育課程・教科書などを共通化することで、全国で一定の学習機会をつくりやすくなります。
仲間との対話、協働、行事、係活動などは、一人では経験できません。
児童生徒数から学級数を計算し、教員・教室・予算を制度的に配置できます。
「多くの子どもに教育を届ける」という公教育の強みと、学級制度は深く結びついています。
学級制度のデメリット|同じ年齢でも、同じではない
その一方で、学級制度には大きな弱点もあります。
同じ小学5年生でも、得意なこと、苦手なこと、興味、発達、学習速度、人との関わり方は全く同じではありません。
算数は中学生レベルまで進みたい子もいれば、小学3年生の内容からゆっくり学び直したい子もいます。
人前で話すことで考えが深まる子もいれば、一人でじっくり考えてから発言したい子もいます。
一定人数の集団で、一つの時間割、一つの授業、一つのペースに合わせようとすれば、どうしても「平均」を想定した教育になりやすくなります。
現代では「学級そのもの」を再設計する教育も生まれている
では、学級をすべてなくせばいいのでしょうか。
それも違います。
安心して戻れるコミュニティがあること。仲間との関係を築くこと。集団で何かをつくること。
学級だからこそ生まれる教育的な価値もあります。
だから現在は、「学級をなくす」のではなく、「学級の形を変える」教育も生まれています。
その一例が、タツロー校長が運営するNIJINアカデミーです。
NIJINアカデミーにも「クラス」はあります。
ただ、学校と同じように「同じ年齢の大人数を一つの単位にする」のではなく、少人数×異年齢を特徴としています。
異年齢だからこそ、年上の子が教える、年下の子が頼る、年齢ではなく得意なことを生かして役割を持つ、といった関係が生まれます。
モニトリアルシステムにも「生徒が生徒を教える」という構造がありました。ただし当時は、大人数教育を成立させるための仕組みとして使われました。
現代の異年齢教育では、「教えることで自分自身の理解が深まる」「頼られることで得意に気づく」という教育的価値として捉え直すこともできます。
NIJINアカデミーで実際に起きている異年齢のエピソードは、少人数×異年齢クラスで紹介されています。
「教室の外」も学びの場にできる
近代学校は、子どもを「学年」だけでなく、「教室」という一つの空間へ集めることで成立してきました。
しかし現代では、オンライン技術や地域・企業との連携によって、「全員が同じ場所にいなければ学べない」という前提も変わり始めています。
NIJINアカデミーでは、メタバースで全国の仲間とつながりながら、リアルでは地域や企業へ出て学ぶ活動も行われています。
教室も学びの場。でも、教室だけが学びの場ではない。
この考え方は、学級の歴史を知ったあとに見ると、少し違って見えてきます。
たとえば千葉県のNIJINアカデミー我孫子校では、「食」をテーマに、調理だけでなく地域の生産者との関わり、商品開発、接客・販売までを学びにつなげています。
→ NIJINアカデミー我孫子校|「食」から地域とつながる学びを見る
また、LITALICOワンダーとの共創では、子どもの「マイクラが好き」という興味からプロジェクトが生まれ、教育関係者が集まるEDIX東京で発表するところまで進みました。
学級をなくすのではなく、学びの選択肢を増やす。
NIJINアカデミーでは、クラスという安心できる居場所を持ちながら、自由進度学習、オンライン授業、サークル、企業とのプロジェクト、地域での体験など、目的によって学ぶ相手や場所を変えています。
学校を否定するためではなく、「学校という一つの選択肢に、別の選択肢を加える」という考え方です。
少人数学級にすれば、学力は上がるのか?
ここで、現在進んでいる35人学級についても考えてみましょう。
「人数を減らせば、当然テストの点数も上がる」と思うかもしれません。
しかし、研究結果はそれほど単純ではありません。
2026年に経済産業研究所(RIETI)が公表した、日本の大規模データを使った研究では、クラスサイズを小さくすると、教師と児童生徒の関係や学級の雰囲気が改善する傾向が確認されました。
一方で、国語・算数・数学などのテストスコアへの効果は限定的という結果でした。
研究では、教師との関係、学級の雰囲気、学習規律などに改善が見られました。
つまり「何人なら点数が上がるか」だけでなく、子どもがどんな環境で一日を過ごすのかも学級規模を考える重要な視点です。
参考:RIETI「クラスサイズ縮小が学級環境の質に与える影響」
「学級をなくすか、残すか」の二択ではない
ここまでの歴史を見ると、問いは「学校をなくすべきか」「学級をなくすべきか」ではないことが分かります。
学級には、仲間と毎日過ごすからこそ生まれる関係があります。
同じ集団で行事をつくる。意見がぶつかる。仲直りする。誰かの得意に助けられる。
そうした経験は、学級だからこそ生まれるものです。
一方で、「同じ年齢」「同じ場所」「同じ時間」「同じ速度」に合わせることが大きな負担になる子もいます。
その選択肢を社会全体で増やしていくことも、これからの教育を考える上で大切ではないでしょうか。
実際に学校の「当たり前」と自分の子どもに合う環境との間で悩んだ保護者の声もあります。
→ 学校の常識にとらわれず、わが子に合う環境を選んだ親子の体験を読む
また、「クラス以外にもつながる場所がある」ことに救われた親子の体験はこちらでも紹介しています。
学級制度200年の歴史を一気に見る
| 年代 | 主な出来事 |
|---|---|
| 江戸時代 | 日本では寺子屋など、地域に根ざした教育が広がる |
| 18世紀末〜19世紀初頭 | ベル、ランカスターらのモニトリアルシステムが発展 |
| 1833年 | イギリス政府が学校教育へ公的助成 |
| 19世紀半ば | 教師による一斉教授が広がっていく |
| 1870年 | イングランド・ウェールズで初等教育法 |
| 1872年 | 日本で「学制」発布 |
| 1880年 | イングランド・ウェールズで5〜10歳の就学義務化 |
| 1958年 | 日本の公立小中学校の学級編制標準は50人 |
| 1991年度 | 40人学級への移行が完成 |
| 2025年度 | 小学校35人学級が全学年で完成 |
| 2026年度 | 中学校でも35人学級への移行開始 |
| 2028年度予定 | 中学校全学年で35人学級へ |
よくある質問(FAQ)
Q. なぜ学校は1クラス40人だったのですか?
A. 「40人」という数字そのものが近代学校の誕生時に決められたわけではありません。日本では戦後、50人だった学級編制標準を45人、40人へと段階的に少人数化してきました。一方、同年齢の一定人数を一つの学級にまとめ、一人の教師が教える仕組みには、大規模な公教育を運営しやすいという特徴があります。
Q. 2026年現在も40人学級ですか?
A. 小学校は全学年35人が標準です。2026年度は中学1年も35人となり、中学2・3年は40人です。2028年度までに中学校全学年を35人へ段階的に移行する計画です。
Q. モニトリアルシステムとは何ですか?
A. 19世紀初頭に広がった教育方法です。教師が学習の進んだ生徒「モニター」を教え、そのモニターがほかの多数の子どもを教えます。少ない教師で大人数へ教育を届けられることが特徴でした。
Q. 一斉授業はいつ始まったのですか?
A. 現在につながる一斉教授は、19世紀の近代学校制度の発展とともに広がりました。教師が前に立ち、まとまった集団へ同時に教える方法が制度化されていきます。
Q. なぜ同じ年齢で学年を分けるのですか?
A. カリキュラム、教材、教師の配置、教室数などを共通の基準で運営しやすいというメリットがあります。一方、同じ年齢でも発達や理解度、興味は異なるため、その違いにどう対応するかが現代教育の課題の一つです。
Q. 35人学級にすると学力は上がりますか?
A. 単純に「人数を減らせばテストの点数が上がる」とは言えません。2026年に公表された日本の研究では、学力への効果は限定的だった一方、教師との関係や学級の雰囲気などが改善する可能性が示されています。
Q. 学級制度はなくした方がいいのでしょうか?
A. 学級には、仲間との関係や集団での学び、公教育を広く届けやすいというメリットがあります。一方、同年齢・同じペースの集団が合わない子もいます。「学級か、学級なしか」の二択ではなく、多様な学び方を選択できることが重要です。
まとめ:「学校の当たり前」は、時代によって変わってきた
同じ年齢の子どもが一つの教室に集まり、一人の先生から同じ内容を学ぶ。
私たちにとって当たり前のこの光景も、長い教育の歴史から見れば、一つの時代につくられた仕組みです。
モニトリアルシステム、一斉教授、国家による学校への財政支援、学制、学年制。
さまざまな制度が組み合わさり、現在の学校がつくられてきました。
そして、その学校も今、40人から35人へ変わろうとしています。
タツロー校長
大切なのは、「昔からこうだったから」と学校の仕組みを無条件に受け入れることでも、「古いから」と全部否定することでもありません。
この仕組みには、どんな良さがあるのか。どんな子には合いにくいのか。そして、今の子どもたちにもっと合う教育をつくれないか。
200年前の学校を知ることは、これからの学校を考えるための材料になります。
あわせて読みたい
動画でより深く|1クラス40人の理由と「学級」の歴史
今回のテーマについて、星野達郎(タツロー校長)が柳治男『〈学級〉の歴史学』を読みながら、学級・学年制度が生まれた背景を約10分で解説しています。
モニトリアルシステム、一斉教授、国家と教育の関係、そして「これからの学校はどうあるべきか」まで、本人の言葉で聞きたい方はこちらをご覧ください。

